2022/04/30 08:07:00
世の中はゴールデンウィークですね。
私は、日本の祝祭日が全く関係のない職場のため、土日以外は、通常通り、仕事です(涙)
それも、今が年度末で正念場と言いますか、とっても忙しい。
なのに、若い頃と違って、がむしゃらにがんばれる気力も体力も集中力もなく…こんなペースで本当に間に合うの?という感じでしか仕事は進みません^^;
そんな日々の癒しは、やっぱりピアノ。
帰宅後は仕事で疲れ果ててピアノが弾けず、ずっと週末しかピアノを弾かない日々が続いていましたが、ここ最近、出勤前にピアノを弾く習慣がまた戻りつつあります。暖かくなって、朝起きるのが辛くなくなったからかな。
朝ピアノは、サイレントモードでヘッドホン。
私が1日の中で一番元気な時間(元気はせいぜい午前中しか持たない)、短時間でもピアノに触れると、頭も心もスッキリします。
自主練ハノン、最近はショパンエチュードがなくなったので(一応いずれ復活予定)、代わりというわけではないですが、ブルグミュラー25の練習曲も、自主練枠で弾いてみたり。
時間があればもちろん他の曲も。
時間にして、15分からせいぜい30分程度ですが、朝の楽しみになりつつあります。
楽しい、弾きたい、と思って弾けることが嬉しい^^
ピアノに元気をもらって、なんとか忙しい5月を乗り切りたいです。
スポンサーサイト
2022/02/07 20:00:00
二月に入り、仕事はいくらか落ち着いてきました。
なので、この週末は久しぶりにのんびり、ピアノ三昧〜かというと、それがそうでもなかったり(一体時間はどこへ消えていくのか)
私は、ピアノを弾く上での、想像力が乏しいのではないか。
曲からいろんなことを想像し、イメージを膨らませたり、調から色彩を感じたり…そういうのってとっても素敵だなあ、と思います。
私は「こういう風に弾きたい」という感覚はいくらかあるのですが、本当に「なんとなく」の域を出ない。
曲からいろんなことを想像し、イメージを膨らませたり、調から色彩を感じたり…そういうのってとっても素敵だなあ、と思います。
私は「こういう風に弾きたい」という感覚はいくらかあるのですが、本当に「なんとなく」の域を出ない。
なので、表情が薄く、演奏がぼやっと退屈に、どれもこれも同じ感じになっているような気がします。
なんというか、楽曲から自然にイメージが浮かんでくる、ということはなく。
感性が乏しいのかな…^^;
父が転勤族だったため、子供の頃のピアノの先生は何人か変わっているのですが、ある先生の元で2年続けて発表会に参加した時、弾く曲をイメージして絵を描くように、紙芝居を作るように言われたことがあります。
1年目は絵で、2年目は紙芝居。
絵を描くこと自体は好きでしたが、曲からイメージして描くのは私には難しく、適当にお茶を濁したような絵になったように記憶しています(妹は嬉々として何枚も描いていました)
そして、紙芝居に至っては、最後まで取り掛かることもできないまま。
全くストーリーが思い浮かびませんでした。
もちろん、曲へのアプローチは色々で、必ずしも想像力を働かせなくてもいいのかもしれませんが、物語や情景が浮かぶのって、なんといっても楽しそうで、曲に対する愛着も沸きそう。
そして、やっぱりより曲をくっきり鮮やかに、魅力的にするのに、役立つのじゃないかなあ。
自然に浮かばないなら、少し意識的にイメージしてみようかな。
せめて「なんとなく」を脱したい。
そして、やっぱりより曲をくっきり鮮やかに、魅力的にするのに、役立つのじゃないかなあ。
自然に浮かばないなら、少し意識的にイメージしてみようかな。
せめて「なんとなく」を脱したい。
そんなことを思いながら、この週末はピアノを弾いていましたが、やっぱり具体的にイメージするのは難しいです。
2021/09/26 08:49:49
すっかり週末しかピアノが弾けなく(弾かなく)なってしまって長いですが…。
そして、その傾向が最も顕著なのが、モーツァルトのソナタを弾いている時。
最近、衰えをとみに感じております。
衰えというのは、体ももちろんですがピアノの技量的なこと(そもそも大した技量はないのは、とりあえずおいといて)
絶賛練習中のショパンのエチュード25−2。
この曲、一応子供の頃の発表会で弾いていて(高校2年生で、最後の発表会)、それも、当時は割と弾きやすいな〜なんて思いつつ、そこそこいい感じに弾けた記憶がうっすらとあるのですが…。
今は、いつまでたってもまともに弾けるようにならず。
指が回らない(というかもつれる)、粒が揃わずヨタヨタ、曲が流れない…そしていつまで経っても指が迷う…なんというか、とっても残念な演奏です。
自分で「これじゃない」感がいつまでも拭えず。
技量の衰えを、頭では分かっていたつもりでも、こういう曲を弾くと、本当に体で実感します。
指まわりだけでなくて、集中力とか、脳の処理能力の問題もありそう(速い曲に頭がついていかない)
そして、その傾向が最も顕著なのが、モーツァルトのソナタを弾いている時。
ピアノを再開してまもない発表会で弾いた曲で、あれから数年、オンライン発表会に出そうかなと思ってボチボチ練習しているのですが…。
音の粒も揃わないし(音の粒をそろえることは、割と得意だったんです…自分の中では)、指が回らず何だかもったり演奏、気持ちよく弾けません(気持ちよく弾きたいのに、指が追いつかず)
こういう曲を弾くと、自分のピアノ力が隠しようもなくダダ漏れ^^;
子供の頃どころか、ほんの数年前と比べてさえ、かなり弾きにくく感じます。
今まで薄々と感じていたことを、はっきりつき付けられた感じです。
加齢で衰えているのだから、練習でカバーすべきところ、それもままならず。
いや、時間は作れるはずですが気力がないというか、もう1日のうち、元気で集中して何かをできるのって、午前中のみで、いろんなことががんばれなくなっているなあ、つくづく感じます。
仕事をこなすだけで精一杯というか。
毎日ぐったり。なんでこんなに疲れやすいのか^^;
年を重ねるのと反比例して練習量が減っているのだから、よく考えれば(というか考えるまでもなく)、ピアノは下手になっていくわけですね(私の場合)
がんばれない自分にがっかりしますが、それもこれも自分なので仕方ない(自分に甘いです)
でも、だからこそ、ピアノを弾くのは私にとってとても大切な自分の時間。
思うように弾けなくても、曲の仕上がりのペースが遅くても、それでも、ピアノを弾いていると心が喜ぶ感じがします。
無理できなくても、がんばれなくても、自分は自分。
その結果、ピアノが下手になっていっても、それはそれ。自分のペースで丁寧に取り組んでいけばいいかな。
モーツァルトもショパンも、焦らず、今の私なりの味わいがある演奏ができるように、弾いていきたいです。
ピアノを弾く喜びを忘れずに。
目指すは、とつとつと心を込めて穏やかにモーツァルトを弾くおばあさんですから^^
2021/01/24 09:58:00
ピアノを再開して一年経った頃、参加した発表会。
大人ばかり10名ほど、素敵なベヒシュタインのピアノがあるこじんまりと小さなサロンで、アットホームな雰囲気の中、モーツァルトのソナタ10番(k.330)1楽章を弾きました。
練習でもうまく弾けないところがあり、なのに通し練習ばかりしていたことで変に崩れてしまったことが直前のレッスンで判明し、1週間で立て直し(本番までゆっくりでしか弾いていけないと言い渡されました)
そんな状況で弾いた曲ですが、緊張の中、なんと目立つミスもなく、モーツァルトなのにほぼノーミスで弾けるという奇跡が!
演奏が終わった後、心からほっとしたのを覚えています。
演奏が終わった後、心からほっとしたのを覚えています。
そうした中で発表会が無事終わり、まだ会場を借りている時間があるということで、せっかくのいいピアノ、残った何人かが自由にいろんな曲を代わりばんこに弾かせていただけることに。
そこで、さっき弾いたばかりのモーツァルトをもう一度弾いてみました。
プレッシャーから解放され、のびのびと弾いた演奏。当然ミスタッチもあちらこちらに。
やっぱりさっきほぼノーミスで弾けたことがまぐれだったんだなあ、と思いつつ「やっぱり結構失敗しちゃった〜」なんていいながら席に戻ると、発表会からずっと演奏を聴いていた父が一言、
「自分では発表会で弾いた時の方がよかったと思っているでしょ?でも、今の演奏の方がずっと良かった。別に間違えない演奏が聴きたいわけではないし、間違えたとしても、いい演奏が聴きたい」と。
そう言われて、はっとしました。
確かに、本番では、少し守りに入った演奏というか、失敗しないように、出だしから慎重で萎縮した演奏だったかも。後で弾いた方が、ミスタッチはずっと多かったですが、ピアノの響きを楽しんだり、もっと音楽の流れを感じながら、演奏していたと思います。
お金を払って聴きにいくプロの演奏ではないのだし、誰も私の演奏に完璧なんて求めていない。
コンクールに参加して、誰かと競い合っているわけでもない。
完璧じゃなくても、上手でなくても、心惹かれる、心に残る演奏はある。
完璧じゃなくても、上手でなくても、心惹かれる、心に残る演奏はある。
ちょっとつきものが落ちたような気持ちになったことを思い出します。
それからは、以前ほどミスタッチを気にしなくなり、それよりもできるだけのびのび、音楽の流れを感じながら弾くことを意識するようになったのですが…。
そのせいか、本番であろうとなかろうと、本当に本当にミスが多くなってしまった…^^;
さすがにあまりにもミスが多いと、聴かされる方もどうなのかと(久しぶりに、その後の発表会でのエオリアンハープやコンチェルトを聴いてみたら、本当にひどい)
本番当日はともかく、日頃の練習では、もう少しそこら辺を意識した練習が必要だなあ、と思いつつ、そこら辺をうまく、バランスよく、程よい緊張感を持って演奏できるようになりたいなあ、と思います。
というか、単純に、圧倒的に(地道な)練習が足りていないから大量の失敗をしているだけですよね^^;
2020/07/08 20:55:11
約1年半ぶりにピアノの調律をしていただきました。
少し間が空いてしまいましたが、私はあまり耳がよくなく、音の狂いに敏感な方ではないため、少し音に雑味が混ざるような、クリアじゃない音になってきたなあ、と感じる程度で、またこのご時世、お願いしていいものか、との思いもあってズルズルと放置…^^;
そんな中、調律師さんの方から「そろそろいかがですか」との連絡が入ったため、「それでは」とお願いすることに。
当日、調律師さんは到着早々手洗い、お互いマスク着用の中、作業していただきました。
前回は、あまりにも久しぶりの調律だったためかなり時間がかかりましたが、今回は1時間半ほど。
家が狭いため、調律の様子は伝わってくるのですが、とても興味深いです。
職人って感じで憧れます。
調律後のピアノは、心持ち音もクリアでよく響くように。
弾いていて気持ちいい!
仕事から帰ってきた夫も「音がなんだかクリアになったね」と。
私には曖昧な変化も、夫ははっきり感じるようで、その後も「(ピアノの)音がいいねえ」としきりに言っていました(ピアノの音がいいのであって、私の演奏がいいのではない)。
私のピアノは、ヤマハのアプライトですが、調律師さんには「豊かに響く、いいピアノですね」と言われ、父にも「このピアノの音はいいねえ」と褒められたもの。
まあ、ピアノの音がよくても演奏者がねえ…(録音よりも、ピアノのそのものの音はずっといいんですよ〜多分^^;)。
大切なピアノ。調律してもらうにあたって、久しぶりにピアノのまわりを片付けたり埃をとったりしましたが、もっと普段から、丁寧に、大切に扱わないといけないなあ、と改めて感じました。
ピアノが家にあること、ピアノが家で弾けることに感謝しつつ、これからもピアノを楽しみたいです^^
ピアノが家にあること、ピアノが家で弾けることに感謝しつつ、これからもピアノを楽しみたいです^^